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徒然なるまま、あっちへふらふらこっちはふらふら。毎日色々悩んだりもするけれど。


by EManbow
いろんな場面で、人を恨んだり呪ったり、ということはあるのだろう。
インドネシアにいた頃、生活の近くに呪術師という存在がいて、呪われた話をたまに聞いた。
誰かに呪われたひとだけめなく、何故かしらそういう事態に陥った人をといてあげる、ということも、呪術師はできるらしい。

かけることも解くこともできるのであれば、呪うことの意味はそれほどなく、呪術師のマッチポンプ的ビジネスなような気もするけど、どうしようもない想いを呪いという行為で片をつけ、また、それは解くことが出来るということで呪ったという罪の意識を和らげられるのかもしれない。

呪える社会は、呪うにも恨むにも何もできない社会より健全なのかもしれない。

呪いも、そして、神様もいない社会構造の中で生きてくると、追い詰められた時に逃げ場所がなくなるのだなぁ、と思うことがあり、ふと、考えた話であった。

# by EManbow | 2018-08-06 10:23

コスラエの犬

ミクロネシアでは、犬が多い。
野良犬ではなく、誰かの飼い犬なのだけれども道をゆらゆら普通に歩いている。

首都のあるポンペイ島にも犬は多いけれど、私の家の周辺では日中の犬被害はほとんど聞かない。
昼間は犬はその辺で寝ているだけである。

と言いつつも犬に唸られた話を聞くこともあり、どこでだろう??と思うこともある。
どこかには友好的でない犬がいるらしい。
という程度で、犬について深く考えたことはなかった。

はてさて。
コスラエ島に来て犬についての思いが変わった。
ポンペイみたいな感じ、と思って何も考えず日中歩き回っていると、背後から犬の鳴き声が聞こえる。
聞こえて聞こえて、近づいて来てどんどん近づいて来て増えている。
振り返ると。。。
後ろで4匹の犬が唸りながらついて来て近づいてくる!
隙を見せると噛みつかれそうな勢いだったので持っていた折り畳み傘をブンブン振り回して撃退。
それ以上追っては来なかった。

はてさて。そこを通り抜けてしまったので帰り道も同じ場所を通らなくてはならない。
残念ながらタクシーはない。
仕方なく覚悟を決めて道を歩くと。。
行き以外の場所でも吠えられる唸られる。
しかも、遠くから吠えるではなく唸りながら近づいてくる。
行きに出会った犬たちは帰りも同じくやってきて、しかも運悪くその付近のエリアで別の犬に吠えられていたために存在が早くからバレていたのか、あっという間に囲まれら感じに。

とりあえず前方に来られると進めないので後方に犬が集まるようにしつつ、道で拾っていた棒を振り回し犬を威嚇。
しかし犬は行きとは違いひるむことなく向かってくる。。
向かって来たがために棒が犬にあたり、折れたところで犬の群れの注意がされたのでその隙に逃走。

棒を失ったので傘で他の犬たちを防御しつつなんとか宿へ。
会う犬会う犬全てに吠えられ唸られました。

コスラエへお越しの際は、犬にご注意を。
というか、車がないときは移動をしない方が身のためかもです。
まぁなかなかくる人もいないけど。



# by EManbow | 2018-06-12 06:57
協力隊の頃のCPというか上司に近い立場だった方が亡くなった。
知らせを受けたのは最近だが、亡くなったのは3ヶ月近く前だ。
たしか今年で60歳だったと思う。定年2年後に、彼女は旅立った

まだ若いのに、という私のコメントに対し、インドネシアの友人は、
でももう定年した歳だしね、ということで、平均寿命の長さの差について
実感する機会ともなった。

私と出会った時、彼女は50代前半だったはずだ。
結構やりたい放題な仕事ぶりではあったが、楽しそうに仕事をしていた。
私が彼女に与えた影響はあまりないと思うが、私の子どもみたいなものね、
私はあなたのインドネシアのお母さんよ、なんていつも言っていた。

大金(と言っても5000円くらい)を財布に入れていた私に、
危ないからダメよ、と言ってくれたり、仕事してるのニートいう中お昼にさらわれたり、
中学生の歌唱コンクールの後自分が舞台に上がって歌っていたり、
そんな彼女を思い出すと、一緒にいたのがついこの前のように思えてくる。

任期終了後に一度だけ会いに行ったが、いつか近いうちにもう一度、なんて思っているうちに
彼女はいなくなってしまった。
60年という人生の中、私がともにいた2年は彼女にとってどういう期間だったのだろう。
なくなった彼女のFBを覗くと、たくさんの人が別れの言葉を書いていた。
イスラム的な考えもあり、死を悲しむよりは、良い旅立ちを願う言葉が多かった。
(これも日本ではあまり考えられないが)いわゆるお葬式の際の彼女の写真もあり、
まるで寝ているのと変わらない姿に、逆に彼女の旅立ちを強く感じた。

人生って、こういうものなんだろう。
生きて、生きて、そしていずれ人はなくなる。それは私も例外ではない。
そんなことをかんがえることになった、人の死を知らせる連絡であった。

# by EManbow | 2018-04-27 21:12 | その他

あれからあれから。

6年前の今日、私は青年海外協力隊としてインドネシアに赴任した。
空港から約2時間、街並みを眺めながら異国に来た、と外の風景を眺めていた。
今、私にとってジャカルタの景色などあまり異国でもなく、途上国感もあまりなく、違和感もない。

ジャカルタに暮らすべし、と言われれば、今は、明日、とは言わないが数日で馴染める町である。
もちろん、ジャカルタはジャカルタで、日本とは違うので気をつけるべきこともたくさんある。
それでも、2年間過ごしたインドネシアという国、そしてその首都は、
その後ふらふらといろんな国に住み、そしていろんな国を訪れてきた中で
住むに難易度の高い場所ではないと思える。(おそらく言葉の面も大きい)

どこだと住みにくいだろう、と考えてみた。
きっと、言葉が通じない国だろうとは思う。
あとは宗教的に厳しい国だろうか。
インドネシアはイスラムの方が多いが、そこまで厳しくはないので心地よい。
中東は、言葉的にも宗教的にも私にとってハードルは高く感じる。

ちょっと前まで、アフリカも住むには大変そうだと思ってきたが、何カ国か、そこそこお金持ちの国から
貧しい国までいろいろ訪ね、思いは変わった。
住むに難しいということは(まぁ者の手に入りにくさはあるが)そこまでないだろう。
(国によるが)

6年前、というとちょっと前な気がする。
でも、インドネシアで、外を見ながら違和感を覚えていたあの頃は、ずいぶん前なようにも感じる。
6年、いろいろなことがあった。
たくさんの人に出会った。大切に思える友人たちにもたくさん出会った。

最近、いろんな声に惑わされ、自分を見失いそうになることもある。
私が選ばなかった道を進み、幸せそうに見える友人を見ると、何かを間違えた気がしてしまうこともある。
それでも、私は私の行きたいように生きてきて、今、別に不幸でもない。
わくわくする未来もある。私は、きっと幸せなのだ。

先日、どういうふうに生きたいのかという話になり、自分なりに考えた。
ここ6年で思いは大きく変わってきている。世の中を変えたい、何て大きなことを考えていたこともあるけれど、
今は、環境保全という分野で、未来へ道をつないでいく礎になりたいと思っている。
得意分野があるので、それは職人の道ではなく、「つなぐ人」としての道ではあるが、
自分が得意とすることを伸ばしていくことで、この地球の未来を守る一員になれると、最近思えるようになった。

全てを手に入れることは難しい。
でも、毎日を丁寧に生きて、信念を持って、私にだからできることがあると、
特に特定の宗教を信じているわけではないが、それでもやるべきことして与えられているように感じるから、
使命なんて大それたものではないけれど、この道で生きていくと信じた道をまっすぐに生きていきたいと思う。

それはキャリアも、そして他のものも手放す覚悟で日本を飛び立ったあの頃の自分から、ずーっと繋がっている道でもあると、そう思う。

# by EManbow | 2018-01-05 20:56 | その他

芸術について考えたこと

友人にチケットをもらい、クラシックのコンサートに行ってきた。
クラシックのコンサートなんて久々だったが、久々にいい演奏を聴いてふと思ったことがあった。

当たり前のことなんだけど、楽器は、人が奏でるんだということ。
人が実際に奏でるから、演奏者によってでる音が違う。
これは、機械の演奏では絶対に出せない魅力だと。

もう一つ。
クラシックが発展した背景を考えると、やはりキリスト教の影響が大きいと、
クラシック音楽を直に聞きながらとても感じた。
神に捧げる音楽として発展してきた教会音楽として発展したものが
やがて教会の枠を出て、とはいえ西洋音楽のベースはやはり神に捧げ、神を讃える音楽だったのだと
今日演奏を聴きながら思った。。
音楽に限らず芸術の発展の裏にある宗教的意味はとてつもなく大きいと思う。
建築にしても、音楽にしても、美術にしても。

そういったものを、演奏を通じて実感したのは初めてだった。
演奏は、人が奏でるものなのだと、そう実感したのも、初めてのことだった。
非常に良い経験をさせてもらいました。




# by EManbow | 2017-12-14 23:50 | その他